ほぼ日刊*フィギュアとかげーむとか

ねんどろいどをはじめとするフィギュアやゲームとかね
(´﹃`)

個人的おすすめゲームミュージッック♪*5

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むよーん(´へωへ`*)

 

 

おすすめゲームミュージック

第4回目はこちら!!

 



MOTHER2」より「ムーンサイドのテーマ」です!!!!

 

作曲者は鈴木慶一さん

当時、新設だった羽田高校を卒業後、浪人して大学受験をするために予備校に通うも3日で辞める。職も探せば無かったわけではないので、何とかなるだろうと思ったという。
1970年にあがた森魚と出会い本格的な音楽活動を開始。はっぴいえんどのバックミュージシャンなどを経験した後、自らのグループはちみつぱいを結成。
1975年に実弟である鈴木博文らとムーンライダーズを結成した。翌年にアルバム『火の玉ボーイ』を発売。
1986年から1991年のムーンライダーズ活動休止期間は、当時夫人であった鈴木さえ子の『緑の法則』のプロデュースなどを手掛けた。
1981年には高橋幸宏とのコンビでビートニクスを結成、断続的に活動し4枚のアルバムを出す。また、鈴木博文とはTHE SUZUKIというユニットでも断続的に活動している。他にBeautiful Songs(矢野顕子大貫妙子奥田民生宮沢和史)としてアルバム、秩父山バンド(KERA、現ケラリーノ・サンドロヴィッチとのユニット)としてシングル、P.K.O.(Panta Keiichi Organizationの略、PANTAとのユニット)としてアルバム、Three Blind Moses(棚谷祐一、小谷和也とのユニット)としてシングルを発表。
ライブのみではローガンズ(泉谷しげる、どんと、高田渡)、大江戸兄弟(友田真吾)、野宮真貴とのユニットなど多数。
2008年、曽我部恵一のプロデュースによるソロアルバム『ヘイト船長とラヴ航海士』で第50回日本レコード大賞優秀アルバム賞を受賞した。
2013年7月、元カーネーション矢部浩志らと新たにControversial Spark(コントロバーシャル・スパーク)を結成した[1]。11月にはKERAと結成したNo Lie-Senseのファーストアルバムを発売。
映画音楽も手がけ、2003年公開の北野武監督の『座頭市』では、第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭(スペイン)最優秀音楽賞、第27回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞した。漫画雑誌『COMIC CUE』では漫画の原作を担当したこともある(作画:やまだないと)。
CM音楽では、代表曲として素人の出演者がきちんと歌っているのに下手に聞こえるメロディラインが話題を呼んだ「きいてアロエリーナ きいてマルゲリータ」(マンナンライフ)や、宮崎美子が着替えるシーンでブームを起こした「いまのキミはピカピカに光って」(作詞・糸井重里、歌・斉藤哲夫ミノルタカメラ)などがある。
音楽プロデューサーとしてはPANTA & HAL、杏里糸井重里藤真利子、クリス、原田知世あがた森魚およびヴァージンVS、ハルメンズカーネーション、ISSAY、渡辺美奈代、桐島かれん高橋幸宏と共同)、cali≠gari高田渡cero (バンド)のアルバムを手がけている。
他のアーティストへの楽曲提供も多く、坂本龍一立花ハジメ宮崎美子チロリン伊藤つかさ、安田成美、野田幹子、ザ・ぼんち宮村優子吉田拓郎他多数。
ゲーム音楽では任天堂のMOTHER、MOTHER2を手がけ、使用した「エイト・メロディーズ」が音楽教科書に採用されたこともある。
音楽を作るモチベーションを上げるためには何でもやり、1990年代に入ってからはジャン・コクトーが描いた「ピカソポートレート」のタトゥーをしている。
部屋が汚いことで有名で、CDや本、新聞が大量に積んである。奥に行くには数回飛ばなければならない。2階に行く階段も滅茶苦茶で、使ってないベッドも洋服が堆積している。親子連れに「おばけ屋敷」と言われたこともあり、帰れないこともあったという(ラジオ「Tokyo FMナイトワープ Eno@Home」 1998年7月25日)。

鈴木慶一 - Wikipedia

 ゲーム音楽のクリエイターというよりはミュージシャンという感じ!!(´へωへ`*)

エイトメロディーズは教科書にも載ったんだ!!!!!!!!

 

プレイした人はわかると思うけど街の雰囲気にマッチしまくりのこの曲

ファンも多いのではないでしょうか??(´へωへ`*)

 

 

 

MOTHER 1+2 オリジナル サウンドトラック

MOTHER 1+2 オリジナル サウンドトラック